Thursday, January 25, 2007

インタビュー(最終章)

先日のインタビューにはまだ続きがあった。全部で25~28項目。ちなみに中学校1年生の人文科学(Humanity)の宿題だそうで、35歳以上の家族又は家族の友人を対象とし、3人分のインタビューをするんだって。「人によって答えが全然違うからめちゃくちゃ面白い」とレポーター(13歳少女)は目をキラキラさせていた。

Q: 「タイムマシーンを拾いました。あなたはどうしますか?」

A: 「西暦元年のエルサレムに行き、イエス様誕生の現場に立会いたい。」

と答えたところ、タイムマシーンにセットする年月日をいつにすればいいのかでモメた。西暦0000年ってすればいいんじゃん?ってことになったんだけど、実際に調べてみたらちょっと違ったみたい。

まぁ、キリスト紀元であることには変わりがないのだけれど、
タイムマシーンで行ってそこんとこ詳しく確かめたくなった!

【備考】
B.C.→ Before Christ 「紀元前~年」
西暦以前の年代には、西暦元年の前の年を、0年ではなく「紀元前1年」とし、年数を逆行させる

A.D.→ Anno Domini (ラテン語「主の年に」の意) 「西暦~年」
西暦とは、キリスト教の始祖であるイエス・キリストの生年とされる年を元年(西暦紀元)とした紀年法である。キリスト紀元とも呼ばれる。紀元0年が無く、元年(1年)より始まるのは、当時、まだ零の概念が西洋に伝わっていなかったからである。

ウィキペディア調べ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9A%A6

Tuesday, January 23, 2007

インタビュー

ベビーシッター先の中学生(13歳女の子)の今日の宿題だそうで、生い立ち、家族との関係、子供時代に何をして遊んだか、好きな科目、得意な科目、成績、部活、先生のことをどう思っていたか、将来の夢、など色々とインタビューされた。相手が子供だったからか、つい無防備になり、家族にも打ち明けていない高校時代のエピソードを話してしまった。

高校二年の時、落第しそうになり、担任教師から両親を呼ぶように言われ、「これは自分の問題なんだから、話しがあるなら直接私にしてください。」と交渉した後、問題になっていた古典(出席日数不足)の先生と直接話しをさせてもらうことに。古典の先生に「起こってしまったことは仕方が無い。反省します。でも、私は将来、立派な大人になって社会で活躍するはずの人間です。なのにあなたは私の将来をメチャクチャにしようとしている。もう一度考え直してください。」と迫ると、二つの作文を書くことで多めにみてくれることになった、①源氏物語全巻を読んでの感想文、②私の将来という題名の作文。「私もね、あなたが将来立派な大人になると信じてるのよ。だからチャンスを与えるわ。」先生は泣いていた・・・

「ねぇねぇ、聞いてもいい?いつ立派な大人になるの?」とつっこむ13歳少女。ゲンコツ振り上げて「ありがとよ」とお礼を言ったら、キャ~と逃げていった(笑)

補足: 結局、源氏物語は読めないまま、作文二つを提出。でも高校三年に進むことができました。

Monday, January 22, 2007

小さなオーディエンス(聞き手)

「バイブルマンの話(日記1/20を参照ください)、良かったわぁ~。
あの後、子供が喜んじゃって『シャキーン』ってやってたわよ。どこで買えるのかしら?」

お母さんからの声を聞いて、はっとさせられた。
先週、教会で証しをした時、子供達がいた事をすっかり忘れていたからだ。

大人しか見えていなかったのにもかかわらず、子供達は耳を傾けていた。

神様っていつも、自分の想像や期待を遥かに超える何かを与えてくださる。
それをいつも見逃さないでいたいと思った。

Saturday, January 20, 2007

「祈り」は「戦い」だ!?

『。。。神のすべての武具を身に着けなさい。。。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。。。。信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。。。』
エペソ6:10~20

アジース・フェルナンド(スリランカのバイブルティーチャー)がアーバナでエペソ6章10~24節の講義をした際、「祈り」は「戦いだ!」と言った。正直「えー?」と思った。

アーバナのセミナーで、「神様はとてもspecific(詳細)で分かりやすい方法でお話しになる。」と学んだ。だから神様に「この地上で生きてゆく為には何が必要なのか、もっと分かりやすく、ひとつずつ、specificに教えてください。」とアーバナの帰り道に祈った。

三日後、ベビーシッター先の少年(7歳)が、「これ、サンタにもらったんだ。見ようぜ。」と言ってDVDを持ってきた。「バイブルマン」・・・5本あるうちの2本を一緒に見た。

バイブルマンは、サタンと戦う時、神のすべての武具(真理の帯、正義の胸当、平和の福音の靴、信仰の大盾、救いのかぶと、神のことばである御霊の剣)を身に着け、そして、戦う前にまず祈る。
http://www.bibleman.com/video/toxictonic.html

祈った後、バイブルマンはこう言い残してガッツポーズで戦いに出て行った。「イエスは言った・・・『あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』 ヨハネ16章33節」

アーバナで学んだエペソの御言葉をそのまま丸ごと分かりやすく神様は教えてくださった。(対象年齢6~10歳)

さらにバイブルスタディーのおまけつき(笑) 「この聖書もサンタにもらったんだ。母さんに一日3節ずつ読むように言われてるから、今日は3節ずつ読むから全部で6節だ!寝る前に読むぞ、いいな?」 エペソ6章をリクエストさせてい頂いた(笑)。

Sunday, January 7, 2007

神様はマジでヤバイ <URBANA06>

「どうだった?」と仕事先で聞かれて答えた最初の言葉。
12月27日~1月1日にかけてミズーリ州セントルイス市で行われた
URBANA06(テーマ:You have a calling)に参加してきました。

世界中から集まったクリスチャン(ほとんど学生)は約2万2千人。英語、スペイン語、中国語での全体賛美には神様のスケールのデカサをこれでもかってくらいに教えられた。祈りも力強く、そのスケールもめちゃデカイ。

外国人学生の夜の集会で、日本人と韓国人がキリストによって一つになった奇跡の瞬間をみせてくださった。「日本人も韓国人もキリストの前では同じ罪人です」と韓国人の牧師さんがおっしゃった。完全に国籍と敵意を超えた平和があった。お互い滝のように涙を流して抱き合って、日本語と韓国語の両方で賛美した。いつまでも泣いていたら隣の韓国人の女性に「泣くのは辞めなさい。喜びなさい」と優しく叱られた。集会の最後、日本人と韓国人両方がそれぞれの言葉で祈った時、韓国人の方がお祈りしている途中から「アーメン」が連発、最後には拍手喝采が起こった。何を祈っていたのか尋ねた後にまた泣いた。「日本は偶像礼拝が多くて大変だ。ここにいる日本人達は将来キリストの福音の種まきをする人たちなんだ。だからこの日本人達の為に祈ろう!」韓国人が大好きになった。

前日のバイブルスタディ(エペソ人への手紙2:11~22)で学んだ通りのことが目の前で実現された。

『・・・キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって葬り去られました。・・・』エペソ2:14~16

まだはっきりとはしていないけど、神様からのコーリングを頂いたのは確か。私のURBANAはいよいよ本格的にスタートしました!