Wednesday, October 11, 2006

受洗

 2006年の2月、私は絶望のどん底にいました。幸せになりたいのに頑張れば頑張るほど深みにはまり、そのうち抜けたくても自分の力では抜けられない程の恐ろしい状態になっていました。神様のいない生活、イエス様の教えを知らない生活を続け、すべてのことに関して自分勝手に生きてきたそのツケが一機にやってきました。自分の知識や経験で正しいと思う『正義』の為に戦い、カラ回りし、気づいたら悪に加勢していた自分がいました。

 ロバート・キヨサキ氏の著書「金持ち父さん、貧乏父さん」に出てくる『ラットレース』という表現をご存知でしょうか?目的のない購買による出費と支払いに負われ続ける人々の様子は、クルクル回る回転カゴの中で走り続けるラットのようで、そこから抜け出せない限り一生、ローンと支払いで追われる生活が死ぬまでつづく。お金持ちの生活を送っているように見えても実際には借金地獄で悩んでいる=ラットレースの中にいる人たち。この表現をかりますが、私は『悪のラットレース』に長い間いました。偶像礼拝者と無神信者たちが、おのおのの快楽と肉欲を求めてぶつかり合う・・・嘘と裏切りがきっかけで、憤り、敵意、嫉妬、ねたみ、誹り、争いが勃発、いつのまにか怒りと復讐心だらけになっていきました。ついには現金も食料も宝石も消え、最後には借金と時間と生命が私に残されました。イエス様は、悪に勝てるのは善のみであり、悪を裁くのは神様であると教えられていることを知らなかったからです。神様から与えられている時間、お金、エネルギーを的外れな目的の為に使ってしまった結果でした。

 家族や友達がいる日本へ帰ろうか迷っている時でした、ベビーシッターに行った先がクリスチャンファミリーでダイニングテーブルの横には本棚があり、そこには聖書やキリスト教関連の本が沢山ありました。子供が寝た後、こっそり読んだ内田和彦氏の著書「聖書は初めてという人のための本」には、聖書が世界のベストセラーであること、西暦元年(キリストの誕生)には旧約聖書(紀元前1500年の出来事が記されている)はすでに存在していた、西暦303年にはローマ皇帝が帝国内の聖書をすべて焼き捨てるよう勅命を出した、などの聖書にまつわる事実が書かれていました。世界のベストセラーをまだ読んでいないのは恥ずかしい、自分は正しい人なのになんでこんな事態に陥ったのか理由が書いてあるかもしれない、といった高慢で偉そうな態度で私は聖書を読み始めました。どんどん読み進めるうちに自分の気づかなかった間違いや罪がたくさんあった事を教えられました。そして、新約聖書を読み終えた時には、自分は迷った子羊だから牧されなきゃいけない、その一心で一杯になり、イエローページで日本語礼拝のある近くの教会を探して2006年の4月から通いはじめました。

『私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。』 マタイ6:12

  口で言うのは簡単です、でも本心で言うことができていない自分とそのギャップに悩んでいました。聖書を読んだりイエス様のことを考えたりしている時は良いのですが、お金がないことや自分の不利な立場や現状に面するたびに、人を責める気持ちや嫉妬心が抑えられない自分いました。また、お祈りする時に「すべてを主にゆだねます」と言った後、自分の考えで判断している自分がいました。自己中心的な判断でとことん的外れな生き方をした超裏目の人生はもう二度と戻りたくないのです。聖霊によるバプテスマを受ければ、信仰心の弱い私を助けてくださるに違いない、みこころをもっと教えていただけると信じ、洗礼を受ける決意をしました。

『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』マタイ6:33

  空っぽの状態にしてくださったからこそ、神様の教えに心をとめ、耳を開き、聖書から教会へ、そして洗礼まで導かれました。そして、自分の力では決して抜け出すことができなかった『悪のラットレース』からイエス様が救い出してくださり、戻れないように封印してくだったことを心から感謝しています。これからどんな苦しい試練が待ち望んでいるのか、どんな素晴らしい恵みを与えてくださるのかも分かりません。分かっているのは、新しい人生のスタート地点にいること、そして、イエス様がどんな時も一緒にいてくださることです。私は希望というスタート地点にイエス様と共にいることを心から喜び感謝しています。

オレンジコーストフリーメソジスト教会
「Orangeのかおり」第27巻10号 (2006年10月) 掲載

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