いま、アメリカで大変厳しい状況の中にあることを心から話してくださった。
あまりの厳しさに何も返す言葉がなかった。
イエス様の話ができずにどんどん時間が過ぎる。4時間ほど経って、帰る時間になってしまった。玄関で靴を履いていたら、私がなぜクリスチャンになったのかを向こうからたずねてくださった。
聖書をよんでイエス様を信じて救われた後、壊れていた感情や思考も、生活も修復され、人間らしさをとりもどしていること、イエスキリストの十字架を通して、新しい道である保育の道が与えられたことを伝える。
「いまイエスキリストって言った!死んでよみがえった人でしょ。ボク知ってるよ。」 wiiで夢中に遊んでいると思っていた9歳の男の子が話に入ってきた。
毎週日曜日の朝はサッカーがあると聞いていたので、雨が降ったら教会に来てねと誘ったら、「日曜日、雨が降りますよーに!」と無邪気に声をあげる。あぁなんて素直な子どもなんだろ・・・。
お別れした後、帰りの車の中で、今さっき起きた4時間を振り返る・・・

まずは自分とキリストの十字架の個人的な関係をもう一度ふりかえりたい。
写真: The MovementのスピリチュアルフォーメーションのレッスンでマリブのSerra修道院に行った時、その修道院の庭にあった、迷路(ではない)みたいなやつ。この中を歩くと、キリストの十字架と自分の関係を思い深めることができる。歩むところによって、十字架に近づいたかと思うと離れ、背を向け、遠ざかったり、近づいたりする。十字架の位置は変わらない。
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